サッカーは心理ゲーム 東アジア選手権2010 vs韓国
「相手にあわさず自分のサッカーをせよ」とよく聞くが,これは無理な話である。
なぜなら,“相手”があってこそ成立するゲームだからだ。それがサッカー。
中国,特に香港は相手があまりにも弱すぎたため,彼らに合わせた結果,ブーイングを浴びるサッカーに。
しかし,最終戦・韓国。
これはなかなか興味あるゲームでした。
ある出来事後にその現象が2つ起きました。
闘莉王が退場したことです。
闘莉王がいなくなったということは,センターバックからむやみな上がりをする人間がいなくなるということ。
これがどういう意味か。
闘莉王がいた場合,FWが下がってボールをもらうべきところを彼がそこへ上がってきたために,FWが窮屈そうにしていた。
しかし,運動量がある前線の選手たちは闘莉王がいなくなったために,その運動量を活かしボールをもらい,それを預け,前に走り出すという,ダッシュ&ゴー!というサッカーにおいて基本事項を忠実に実行。
これが,1つ目の現象です。
だから,彼の退場後,特に,後半でのサイドの攻防なんてすごく面白かったですね。
数的優位を作ろうとし,それができてましたから。
あと,岩政を見られたことも収穫。
なぜか,岡田さんは中澤&闘莉王に執着するので,他のセンターバックはなかなか見る機会がなかった。
本大会でも,中澤&闘莉王がケガなく万全に出場できる保証はどこにもないにもかかわらず,異常なほどの彼らに対する執着。
岩政。
能力が高いのは分かってますよ,アントラーズの3連覇がそれを示してますから。
彼に足りないのは代表での経験。
コーナーフラッグ際での一瞬の気抜けプレーによって,ピンチを招きそうになったけど,中澤の絶妙なるカバーリングでそれを脱しました。
その気抜けプレーは代表経験が足りないことからもたらされるもの。
ならば,もっと代表の試合で使えば良いだけのこと。
これを岡田さんにできるか。
ただ,「絶妙な」カバーリングと書きましたが,これも考えもの。
なぜなら,岩政と中澤がコーナーフラッグ付近にいるということは,ゴール前には背の高い選手はいないということ。
本大会になれば,彼らをかわす能力を持つ選手なんてざらだということを考えると,これは「絶妙」どころか,「最悪」のカバーリングと称されてもおかしくないプレー。
この守備での連携,考えものです。
闘莉王がいなくなって良かったことばかりではありません。
すなわち,センタバックからのビルドアップができなくなったということです。
闘莉王の持ち味はそのヘディング能力の高さゆえにそこばかりが注目されますが,他の魅力として,ミドル・ロングパスを挙げることができます。
DFラインから,オーバーラップしたサイドバックへのロングパスなど。
攻撃の起点が,中盤だけでなくディフェンスラインにもできるということです。
これにより,分厚い攻撃が可能となる。
しかし,彼がいなくなったことにより,パスを出す者はいなくなった……。
いわゆる現代的センターバックの欠如という2つ目の現象です。
センターバックである以上,守備能力の高さがもちろん必要ですが,攻撃と守備の責任をどの選手も均等に負うという現代サッカーでは,守備だけでなく攻撃面でも働いてもらわなければいけません。
セットプレー時だけでなく。
足元のあるセンターバック。
これが残念なことに今のところ闘莉王しかいません。
シドニーのころは使い物にならなかった中澤の足元は,あのころと比べれば多少使い物になっていますが,前述したように,試合でそれを見せていないということはそれが戦える武器になっていないという証拠。
サッカーは時代が進むごとに難しくなってますよね。
まさか,ディフェンダーに足元の攻撃能力も必要な時代になってくるとは。
なぜなら,“相手”があってこそ成立するゲームだからだ。それがサッカー。
中国,特に香港は相手があまりにも弱すぎたため,彼らに合わせた結果,ブーイングを浴びるサッカーに。
しかし,最終戦・韓国。
これはなかなか興味あるゲームでした。
ある出来事後にその現象が2つ起きました。
闘莉王が退場したことです。
闘莉王がいなくなったということは,センターバックからむやみな上がりをする人間がいなくなるということ。
これがどういう意味か。
闘莉王がいた場合,FWが下がってボールをもらうべきところを彼がそこへ上がってきたために,FWが窮屈そうにしていた。
しかし,運動量がある前線の選手たちは闘莉王がいなくなったために,その運動量を活かしボールをもらい,それを預け,前に走り出すという,ダッシュ&ゴー!というサッカーにおいて基本事項を忠実に実行。
これが,1つ目の現象です。
だから,彼の退場後,特に,後半でのサイドの攻防なんてすごく面白かったですね。
数的優位を作ろうとし,それができてましたから。
あと,岩政を見られたことも収穫。
なぜか,岡田さんは中澤&闘莉王に執着するので,他のセンターバックはなかなか見る機会がなかった。
本大会でも,中澤&闘莉王がケガなく万全に出場できる保証はどこにもないにもかかわらず,異常なほどの彼らに対する執着。
岩政。
能力が高いのは分かってますよ,アントラーズの3連覇がそれを示してますから。
彼に足りないのは代表での経験。
コーナーフラッグ際での一瞬の気抜けプレーによって,ピンチを招きそうになったけど,中澤の絶妙なるカバーリングでそれを脱しました。
その気抜けプレーは代表経験が足りないことからもたらされるもの。
ならば,もっと代表の試合で使えば良いだけのこと。
これを岡田さんにできるか。
ただ,「絶妙な」カバーリングと書きましたが,これも考えもの。
なぜなら,岩政と中澤がコーナーフラッグ付近にいるということは,ゴール前には背の高い選手はいないということ。
本大会になれば,彼らをかわす能力を持つ選手なんてざらだということを考えると,これは「絶妙」どころか,「最悪」のカバーリングと称されてもおかしくないプレー。
この守備での連携,考えものです。
闘莉王がいなくなって良かったことばかりではありません。
すなわち,センタバックからのビルドアップができなくなったということです。
闘莉王の持ち味はそのヘディング能力の高さゆえにそこばかりが注目されますが,他の魅力として,ミドル・ロングパスを挙げることができます。
DFラインから,オーバーラップしたサイドバックへのロングパスなど。
攻撃の起点が,中盤だけでなくディフェンスラインにもできるということです。
これにより,分厚い攻撃が可能となる。
しかし,彼がいなくなったことにより,パスを出す者はいなくなった……。
いわゆる現代的センターバックの欠如という2つ目の現象です。
センターバックである以上,守備能力の高さがもちろん必要ですが,攻撃と守備の責任をどの選手も均等に負うという現代サッカーでは,守備だけでなく攻撃面でも働いてもらわなければいけません。
セットプレー時だけでなく。
足元のあるセンターバック。
これが残念なことに今のところ闘莉王しかいません。
シドニーのころは使い物にならなかった中澤の足元は,あのころと比べれば多少使い物になっていますが,前述したように,試合でそれを見せていないということはそれが戦える武器になっていないという証拠。
サッカーは時代が進むごとに難しくなってますよね。
まさか,ディフェンダーに足元の攻撃能力も必要な時代になってくるとは。
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